3 10月

沈黙の《神》が赦す限り!

《愛》は、憎むことも、恨むこともなく、《寛容》であり、沈黙する。〈個〉の私は、子供の頃、暴力をふるう限界ある父親の〈愛〉を憎み、恨んだ。つまり、《寛容》と謂う単語が、私の脳裏には一切なかった。「アボシ(お父さん)・・・はやく、死んでください」。アボジが、胃ガンで死をむかえるまで、〈個〉としての幼子の「沈黙の神」への祈りであったことを想起する。さて、私は、〈バイブル〉に登場する『イエス』と謂う男の「生き方」につながっていれば《寛容》な心が培われてゆくことを信じて、これからも、社会福祉法人サワリで取り組んでゆきたい。《寛容》が《愛》と表裏一体の関係だから。ただし、〈個〉が前にするみなさんが、それをゆるしてくれる限りである。それから、評議委員会・理事会で承認してくれる限り、また、後方支援にある全国に散らばる一人、一人が認めてくださる限りである。第一義的には、沈黙の《神》が、精神界の取り組みの業を赦す限りである。